残念ながら,日本市場では苦戦を強いられたものの,最終的に日本国内50万台,全世界2400万台のセールスを記録。その後,Xbox 360,Xbox One,そしてXbox Series Xへとブランドは引き継がれていく。
本稿では,黒船にたとえられた“Xbox上陸”の当時を知るライター陣に「初代Xboxの思い出のゲーム」を尋ね,その記憶をたどってもらった。当時,熱心なXboxユーザーだった人も,よく知らなかった人も,はたまた物心がつく前だったという人もいるだろう。現代に続く家庭用ゲーム史の一端である,初代Xboxの記憶にぜひ目を通してほしい。
<INDEX>
※敬称略。五十音順
筆者はアーケードゲーム専門誌・ゲーメスト出身のライターなので,アクションゲームの攻略には一家言ある。近年のデータだけをズラリと掲載している攻略サイトを見ると,「これは攻略じゃない」と思うのだ。
その点,NINJA GAIDENは十分すぎるほどの攻略に値する高難度のアクションゲームである。ファミ通Xbox編集部のライターとして制作した本作の攻略本は,自分が考える「ゲームの攻略法」を書いたものであり,それを世に出すことができたのは忘れがたい思い出だ。
また当時,「MASTER NINJA TOURNAMENT」と題した,NINJA GAIDENのスコアを競う世界的な大会が開かれている。これはある意味,eスポーツの先駆けとも言える大会だろう。この大会には筆者も出場し,第1ラウンドでは日本2位だったと記憶している。ちなみに,1位は同じくファミ通Xbox編集部のライター・マルヨ。彼はゲーメスト時代からのライター仲間だ。
日本,北米,欧州のプレイヤーが腕を競い,高難度アクションゲームの世界No.1の座を争う。こんな大規模なゲーム大会が2000年代半ばに開かれていたという事実は,記憶に留めておきたい。
「マンガディメンション」と称されたトゥーンシェードを採用したジェットセットラジオは,筆者のゲームの表現に対する価値観に強い影響を与えたタイトルだからだ。そして続編「ジェットセットラジオフューチャー」(以下,JSRF)は,新世代機のマシンパワーと洗練されたデザインにより,その名のとおり“未来”を感じることができたタイトルだった。
タイトルデモからして,もう最高だ |
スピード感バツグンのグラインドは,当時のプレイヤーを虜にした |
箱庭の街をハイテクインラインスケートで滑り,グラフィティを描いていく。基本ルールは前作を踏襲しているものの,操作系を簡略化しつつ,ステージが全体的に広くなったことで,指先のテクニックよりもアクションの気持ちよさとスピード感,そして探索を重視した内容へと変わった。また,ストーリーは前作の世界設定を近未来にスライドしたパラレルなもので,前作を引きずらないゲームデザインに開発チームの気骨を感じられた。
コンポーザーの長沼英樹氏による,いわゆる「長沼サウンド」も健在で,新曲と前作のアレンジバージョンがノンストップで流れていく。前作に続いてオルタナティブバンド「ギターベイダー」が参加したほか,北米のインディペンデントレーベル「Grand Royal Records」のアーティストも楽曲を提供している。
ちなみにGrand Royal RecordsはJSRFの発売直前,経営難により廃業したため,同レーベルの楽曲はサントラに収録されなかったという残念な顛末もあった。
グラフィティはボタンを押すだけで描ける簡単設計に |
未来感とレトロ感が共存する箱庭の街は,複雑に入り組んでいる |
また,JSRFの影響を受けたと思われるインディーズゲームも少なくないが,筆者のココロのスキマを埋めるようなタイトルにはまだ出会えていない。
奇しくも,11月1日に「セガとマイクロソフトによる戦略的提携」というニュース(リンク)が発表されたが,JSRFの存在が思い浮かんだのは筆者だけではないはず。安易な思いつきであることは分かっているが,何かのきっかけで新作が出てくれたら本当に嬉しい。
本作は元々,カプコンとエンジェルスタジオによって共同開発が行われていたが,一度は開発を中断。その後の紆余曲折を経て,エンジェルスタジオはロックスター・ゲームス傘下のロックスター・サンディエゴとなり,本作の開発を再開するものの,発売時期は2004年5月(北米版)にずれ込んだ。普通なら駄作と化しても不思議ではない経緯だが,どっこい本作は,本当に楽しいTPSに仕上がっている。
クリント・イーストウッド,あるいはフランコ・ネロを彷彿とさせる流浪のガンマン「レッド」。父から受け継いだ牧場を一人で守ろうとする女性「アニー」。二丁拳銃を華麗に操る英国紳士「スウィフト」。ネイティブ・アメリカンの戦士「シャドー・ウルフ」。敵側の大物「ディエゴ将軍」。登場人物はいずれも,いかにもマカロニ・ウエスタンといった風情があり,そんな彼らが刺激的でケレン味たっぷりの群像劇を織りなす。
古い映画フィルムの傷や汚れを“エフェクトで再現”したり,BGMを当時の映画から引用したりといった演出面のこだわりも完璧。西部劇ファンならずとも,その世界にどっぷりと浸ることができた。
そんな本作をプレイしていたおかげで,ロックスター・サンディエゴが再び手がける「レッド・デッド・リデンプション」の完成を心待ちにしていたことを思い出す。そして2010年に発売された続編が,筆者の並々ならぬ期待をさらに上回るクオリティだったことは皆さんもご存じのとおりだ。
このゲイムはプロレスゲイム史……というよりもプロレス史に残る作品なのよ。ただ,内容自体は普通のプロレスゲイム。なので,語りたいのは内容ではなく発売当時の背景ね。WWE(World Wrestling Entertainment)は言わずと知れた世界最大のプロレス団体なんだけど,この名称になったのは2002年5月のこと。それ以前はWWF(World Wrestling Federation)という名称の団体だったのね。
まとめるよ。アメリカ本国で今作が発売されたのが2002年2月,WWEに名称を変更したのが2002年5月,日本での発売が2002年10月。つまり,アメリカでは「WWF RAW」,日本では「WWE RAW」として発売された珍しいタイトルなのね。まさに大人の事情に翻弄されながら生まれた作品なのよ! ……ええ,言いたいことはそれだけですけども? ともかく,プロレスの歴史的瞬間に私もゲイムライターとして居合わせたよってお話でした。
かなり安価なモデルだったと思うが,それでも当時の自分には決して安くなかったはずだ。それでもアンプとスピーカーを用意したのは,Xboxが5.1ch(マルチチャンネル)サラウンドを“当たり前の存在”にしてくれたから,と言ってもいい。
Xboxは純粋な処理能力もさることながら,HDDやネットワーク機能(LAN端子)を標準で搭載するなど,当時としてはかなりリッチなハードだった。それはサウンド面でも同様で,多くのゲームがDolby Digitalによるネイティブな5.1chサラウンドに対応しており,環境を整えれば“ゲームの音に包まれる”ことができた。当時のライバル機もサラウンド機能を備えていたが,対応ソフトがかなり限られていたり,ムービーシーンのみの対応だったり,ステレオ(2ch)からの変換だったりと,まだ限定的な対応に留まっていた時代だ。
もちろん,映像作品でもサラウンド効果を体験することはできた。だが,あらかじめ決まったものが流れるのではなく,「自分の操作とゲーム内の現象次第で,発生方向や音声自体がリアルタイムに変化する」という動的かつインタラクティブなサウンドの変化は,まさにゲームならではの体験だったのだ。
さて,そんな当時のお気に入りの1本は「グランド・セフト・オート ダブルパック」。世界中に“GTA”の名前を知らしめた「グランド・セフト・オート III」と,より遊びやすくドラマチックになった「グランド・セフト・オート バイスシティ」がセットになったパッケージである。どれだけの時間をリバティシティとバイスシティで過ごしたのだろうか。
登場人物(主人公を含む)はほぼ全員悪党。やることはたいがい車泥棒や破壊行為,暗殺といった犯罪ばかり。無関係な一般人も荒事に巻き込んだり,重火器や戦車で暴れ回ったりできる……といったゲームの内容は説明不要なほどの名作だ。
他機種でもリリースされているが,Xbox版はエフェクトの強化によって登場する車がツヤツヤのテカテカでカッコよかったし,ロード時間は短めになっていたし,さらに5.1chサラウンド環境でプレイしていたこともあって,「俺のGTAはひと味違うぜ」的な,ちょっとした優越感に浸れた。
VR環境の進化が著しい現在,より高度化した形でゲームの中に入り込めるようになった。だが,サウンドがゲームの臨場感を飛躍的に高めてくれることを教えてくれた,初代Xboxからの受けた衝撃は忘れられない。
完全一人称視点のアクションアドベンチャーゲーム,それってFPSのことですよね? 自分が吐いたゲロをしげしげと見つめられることのために,Intel Pentium III相当のCPUパワーが使われているのですか? 本作をプレイし始めた当初,私の意識は完全にゲーム世界の外側にありました。
いかにもゲーム的な山場をひとつふたつ越え,「だいたいこんな感じの作品かな」と評価が固まりつつあった頃,それまでの余裕は一本道の通路をなにげなく曲がった瞬間に消し飛びました。
「??????????????????」
文字にすると,こんな感じの心境でした。ポカーンとした状態のまま,コントローラだけを動かし続け,理解できたようなできないようなストーリー展開を追っていくうちに,自分自身は“一人称視点”というカンテラだけ持たされて,とんでもない物語の迷宮に放り込まれていたことに,やっと気づきました。
現在のVRコンテンツに通じる感覚をいち早く体験できた……などというと,思い出補正が強すぎると思われるかもしれません。ですが,本作のプレイ以前と以後では,ゲーム世界の感触や捉え方が変わったことは間違いありません。
本作のさまよい体験の衝撃は,クリアしても簡単には醒めませんでした。すべての難度をクリアしただけでは飽き足らず,当時の4Gamerで記事を書いていたバリバリのPCゲーマーである友人を自宅に招いてプレイさせ,その様子をつぶさに見守るなんてこともありました。「これは『Half-Life 2』がなかったら,生まれていなかったゲームだ(極めて穏当な意訳)」と言いながらも,友人はストーリー構成に感服していたようです。
「ブレイクダウン」は後方互換に対応しており,Xbox OneやXbox Series X|Sでも購入できます。若者には「実際にやってみたけどこの程度かよ。どっかで見たことある演出ばかりだな!」といった感想を持たれる可能性大ですが,コンシューマゲームで“この手のストーリーテリング”が何の引っかかりもなく受け止められるようになったのは,初代Xboxのハード性能があったからこそ……という事実は今一度,強調しておきたいところです。
「CRAZY TAXI」シリーズは,タクシー運転手となってお客さんを目的地に届けるゲームだ。このとき,危険な運転をすればするほど,乗客が喜んでチップを弾んでくれる。タイトルに違わず,クレイジーなゲームである。
「CRAZY TAXI 3 High Roller」はシリーズの集大成のような存在になっていて,新コースに加えて過去作のコースやキャラクターも収録されていた。システム面でも「CRAZY TAXI 2」の“クレイジーホップ”(ジャンプ機能)が引き継がれていたり,クレイジーダッシュやクレイジードリフトといった小技もちゃんとあったりして,よりカンタンに爽快感の高い走りが可能だった。エフェクトも派手になったしね。
で,筆者はどこが気に入ったのかというと,初代「CRAZY TAXI」のコースだ。このコースにある長くて大きな坂をダッシュしながら,クレイジーホップでピョンピョン跳びはね,坂の下の曲がり角でドリフトするのがメチャクチャ気持ちよすぎる! 坂道を転げ落ちるかのようなスピード感,同時にチャリンチャリンと加算されていくチップのSEがたまらない。「3」の新コースよりも,初代のコースばっかり遊んでいた記憶がある。
そしてクレタクと言えば,BGMに触れないわけにはいかない。このシリーズは海外の有名アーティストの楽曲を収録しており,初代のコースで最初に流れる「All I Want」(The Offspring)が代表的だ。疾走感溢れる「ヤーヤーヤーヤーヤー!」というかけ声からスタートするんだから,そりゃもうテンションはいきなりクライマックスですよ。その次の曲が,これまたノリのいい「No Brakes」(The Offspring)なのもニクイ。
そんな「CRAZY TAXI 3 High Roller」は,なんと後方互換に対応して……いない! 初代Xbox本体とソフトがなければ遊べない,なかなかレアなタイトルになっている。ぜひとも楽曲はそのまま,リマスター化をしてほしい1本だ。
テクモ / 2003年2月6日発売,2004年11月11日発売
<本地健太郎>
Xboxタイトルの多くが後方互換機能によって現行機でも動作する。互換対応タイトルの追加に関するニュースを見るたび,筆者は「DOAX」の名前を探してしまうのだが,それと同じくらいに互換対応を願ってやまないタイトルがある。それは「FATAL FRAME 零 SPECIAL EDITION」と「FATAL FRAME 2 Crimson Butterfly」だ。
「FATAL FRAME」は「零」シリーズの海外向け名称だが,両タイトルはPS2向けにリリースされた第1作と第2作に新要素が追加されたものである。
「FATAL FRAME」2作はともにXbox 360の互換機能に対応しているが,Xbox One以降の機種では遊べない。
今回の執筆に際し,2年ぶりに初代Xboxを起動してみたら,なんとディスクを読み込まなくなっていた。HDDは生きていたが,ディスクの読み取りがダメになっているようだ。「平成ゲーム史まとめ」のときは生きていたので,ここ2年で限界を迎えたということになる。皆さんのお手元にあるXboxはご無事だろうか……。
実は,「FATAL FRAME 零 SPECIAL EDITION」をXbox 360上で動かすと,特定のシーンで表示されるべきものが真っ黒になっているという不具合がある。そのため,初代Xboxが欠かせないのに……。
HDDは無事のようで,セーブデータの確認はできた |
どんなディスクを入れてもこの画面。カスタマーサービスー! 来てくれー! |
ご存じのとおり,「零」シリーズは「カメラで霊を撮影することでダメージを与えて倒す」という斬新なホラーゲームだ。暗くてボロボロの日本家屋を1人でウロウロするだけでも怖いのに,霊が出てきたらカメラを構えてファインダー越しに見つめ続けて,ギリギリまで引きつけてからシャッターを押さなければならない。怖がりの人からすれば「なんでこんなことさせるのぉぉぉ」と言いたくなる要素が満載だ。
だが,「零」シリーズの本質はそこではない。個人的に「ホラーは設定が大事」だと思っていて,「人間関係」や「場所の歴史」といった“背景”を理解していくことで怖くなるものだと思っている。
その霊は,なぜ霊として現世に姿を現すのか。生前,その場所,その人物に何があったのか。それらを少しずつ理解していくことで,ヒタヒタと忍び寄る,あの世からの足音を間近に感じるような寒気を覚える。「零」シリーズには必ず,これがある。
ただ「幽霊が出てきて怖い」のではなく,ゲーム機の電源を切った後も,「零」の世界設定やストーリーを思い出すたびに同じ感覚が蘇る。これこそが「零」シリーズに感銘を受けた部分であり,作品として大好きなポイントでもある。
「Xbox20周年!」と聞くとめでたいが,ゲーマーにとっては,ゲーム機の経年劣化の足音を実感する恐怖のニュースでもある。役目を終えた我が家の初代Xboxを弔うとともに,「FATAL FRAME」2作がXbox Series Xの後方互換機能に対応する未来に祈りたい。
「Halo」が国内で発売された2002年当時,家庭用ゲーム機におけるFPSは今ほどメジャーなジャンルではなかった。1997年発売のNINTENDO64用ソフト「ゴールデンアイ 007」こそゲーマーの間で話題になったものの,なかなか家庭用ゲーム機では定着しなかった。
そんな状況だったので,日本のメディア向けに行われた本作の発表会では,とある記者からこんな質問が飛んだ。
「このゲームはガンコントローラに対応しているのでしょうか」
FPSというジャンルを知っていれば,ガンシューティングとはまったく別物であることが理解できたはずなのに,見た目から「ああ,ガンシューね」と思われたわけだ。それくらい,当時はFPSがマイナーなジャンルだった。
FPSに詳しい人からすれば,「家庭用ゲーム機ではFPSは流行らない」という見方もあった。もともとマウスとキーボードを使うことが前提のゲームデザインだったので,ゲームパッドでまともに遊べるわけがないと思われていたのだ。
ところが……だ。蓋を開けてみれば,「Halo」は世界中で大ヒット。PCゲーム文化圏だけのものだったFPSを家庭用ゲーム向けにとことんチューニングした最初のタイトル,それが「Halo」だと言ってもいいだろう。そういった意味では,昨今のFPSブームやバトロワブームもXboxがキッカケだった……これは言い過ぎ!?
それ以前はドリームキャスト版「ストリートファイターIII 3rd STRIKE」のオンライン対戦をテレホーダイ回線で遊んでいたため,「カプエス2 EO」ではPグルーヴのブロッキングや,Kグルーヴのジャストディフェンスが実戦で狙えることにまず感動を覚えました。
そのうえ,「カプエス2 EO」はアーケード版の無印(「CAPCOM VS. SNK 2」)では必須テクニックだったものの,なかなか使いこなせなかった前キャン(前転キャンセルのこと。C/A/Nグルーヴの回避行動で,出始めの数フレームを必殺技でキャンセルすることにより,前転の無敵時間が必殺技に付与される“仕様”)を狙っても意味がない(無敵時間が付与されない)。要するに,自分にとってとても都合のいいバージョンだったため,カジュアルな対戦を気持ちよく楽しめた(勝てた)記憶があります。
Xbox Liveでは安定したオンライン対戦が楽しめたため,Xboxプラットフォームは格闘ゲーマーにとって,わりと親近感のあるハードだと思います(とくに「ストリートファイターIV」プレイヤーのXbox 360所有率は高かった)。優れたアクションゲームやFPSを輩出したゲーム機としてのXboxについては,ほかのライターが言及してくれているので,自分は「Xboxって“格ゲーマシン”としても魅力的だったんだよ!」ということをアピールしたいと思います。
人型軍用兵器「VT(Vertical Tank)」の操作感を再現するため,コンソールとフットペダルで構成される専用コントローラ(操縦機)を用意したという狂気のゲーム,それが「鉄騎」だ。
コンソールには40個のスイッチと2本のスティック,1本のシフトレバーが並ぶ。VTを起動して歩かせるだけでも,
- ハッチを閉じるボタンを押す
- エンジンを点火するボタンを押す
- 生命維持装置などのスイッチをパチパチと入れる
- スタートボタンを押す
- シフトレバーを前に入れ,ペダルを踏み込む
といった一連の操作を要する。もう企画の体裁をかなぐり捨てて,このまま操作を書き連ねていたいくらいに素敵だ。
そんなにもボタンやレバーが必要なのか……という疑問はごもっとも。だが,実物があるがゆえの手ざわりは,心を大きく揺さぶる。
例えば,VTが転倒してカメラが汚れたら,ワイパーのボタンを押して汚れを拭う。ここで筆者は舌打ちしていたものだが,これは別に悔しいわけではなく,面倒だというわけでもなく,「戦場のパイロットだったら,こんなときに舌打ちするだろう」というロールプレイ。もちろん,ゲームとしては一切評価されず,我に返って恥ずかしくなるだけなのだが,これは手ざわりがあるからこそのディープな没入だ。
初プレイの際,こわごわと操作を進めていると,コンソールのボタンが光り出したのは最高だった。ゲームにある程度慣れてきて,複数のスイッチを同時入れたりするなど,操作がぞんざいになった自分に気づいたときも不思議な感動があって最高だった。VTが燃えだした際,パニックになって咄嗟に消火ボタンを押せず,そこらのボタンをデタラメに押してしまったのもドキドキして最高だった。VTが大破した際,脱出スイッチのカバーを開けるのに手間取っていたら戦死してしまい,データが消えたのも腰が抜けて最高だった。
こんな狂気を2万円弱で買えたのだ。奇跡的だったとしか思えない。
当時,筆者が「鉄騎」を遊ぶときはコンソールをPCデスクに設置するしかなかった。それだとPCが使えなくなるため,プレイするときは箱から出して,終わったら箱に戻す。コンソールの裏面にセットされた六角レンチを使い,ネジを外してからコネクターを抜いて,3つのブロックに分解してから箱に放り込むのだ。
もちろん,大きな手間ではあったが,まったく苦にならなかった。「鉄騎」という狂気は,それだけ魅力的な狂気だったのだ。
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